July 30, 2012
気楽なカオス。
雲ひとつない土曜の昼下がり、知人の家のベランダで緑の庭を眺めながら、スウェーデン人のおばさんが「このアフリカのような途上国のカオスが、時々恋しくなるのよね。」とおっしゃる。
そうかも。たしかに、思ったように物事は進まないし、何事も雑だし、トホホなことも多い。しかしその分、うるさい規則やタブーが少ないとでも言いましょうか。
自己責任の部分が大きい、というか、自分で解決しないとどうにもならないことが多い。店や、業者や、役所に文句を言っても埒があかないっていうことも多くて、自分でなんとか片付けなきゃならない。だから少なくともサバイバル英語くらいはできないとキツい。
お金で解決しないと仕方ないこともある。電気や水がちゃんと供給されないなら、電力会社や水道局に頼らず自分でその手当をする羽目になったりするし、どうしても必要なものは海外からお取り寄せしないといけなかったりするし。
それでも、です。穴だらけの社会ゆえの気楽さがある。先進国の人間、特に北欧や日本みたいにきっちりした社会から来ると、途上国の暮らしはストレスが多い。でも、そのストレスは日本にいる時に感じるストレスとは別物です。もっと直接的と言いますか、サービスがちゃんとしてないとか、電気や水や物資の供給が安定しないとか、そういうもの。で、それを処理する術を見出せば、そしてある程度は「そんなもんか」と諦観できるようになれば、実はけっこう気楽だったりする。
たとえて言えば、自動車道が整備された先進国では「交通ルールをちゃんと守らないといけない」ということがストレスだとすると、アフリカのような途上国のストレスは「道路の穴に落ちたら大変だよ」ってところです。そして、穴に落ちても自己責任だからね、っていう感じ。その代わり、交通ルールの遵守は少々いい加減でもよい。
そこにずっと住めといわれたら困る。足りない物は多いし、なんといってもケガや病気をしたら、この物事の進まなさはシャレにならない。平均寿命が日本よりずっと短いのにはそれなりに理由がある社会なわけだし。 しかし、スウェーデンなり、日本なりの生活を知っている上で、そこで生活する選択肢を留保した上で、アフリカのような途上国のカオスの中に気楽さを見出すっていうのは、そのとおりだなぁと、そのおばさんのつぶやきを聞いて納得したのでした。
* * *
そして、そのスウェーデンのおばさんと話したのは、自殺が多いのは「きっちりした社会」の方だよね、ということでした。
そのおばさんや私のように、みんながみんな「カオスが恋しい」という感覚が共有できるとは思えないし、今、自殺するほどに悩んでいる人に「途上国暮らしは気楽だよ」って言っても何の解決にもならないとは思います。でも、世界は広くて、もっといい加減な社会もあるんだよっていうのは知っておいて損はないなぁと思う次第でございます。
July 14, 2012
1万円は100万円の100分の1だからね。
ずいぶん前のことになりますが、小中学生を集めて行う夏の林間学校みたいな行事に協力したときのこと。船で出かける旅行だったんですけど、海の上にいる間にビンに手紙を詰めて流してみようという企画がありまして。
ところが。
一部の関係者の人が、ビンを海に投げるのはゴミの不法投棄と同じで環境汚染になるから反対だと言い始められましてですね。まあ、原理的にはそうでしょう。自然にはないものを海に投げ込むんですからね。しかし、ガラスのビンは別に有害物質ではないし、世界中で海に流れ出しているゴミが毎年何百万トンあるのか知りませんが、それに比べたら目にも見えないレベル。海の向こうの誰かが拾ってくれたらうれしいな、という子どもたちの無垢な夢を挫く理由にはなるはずもないと思っていたら、反対派の人たちは意外に強硬で、林間学校の主催者側の人に「少量でもゴミになる可能性のある物を海に投げるのはいけない。環境汚染を認めるのか?」と難詰を続けられまして、ついに主催者側の人は手紙の入ったビンを流すイベントを中止すると言わされてしまいました。
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ゼロリスクを求めていては何も出来ない、ゼロか、そうじゃないかの二元論じゃどうしようもないという話を書いたんですが(「絶対に」安全、なんてないのさ。)、こういう「絶対」を求める人って、量の感覚、数量の理解のバランスが悪いようにも思うのです。
普通の大人なら、100円と100万円の違いは実感として理解できる。たぶん、1000万円、1億円くらいまでなら感覚として分かる。ところが10億円となるとだんだんその大きさが抽象的になってきませんか?会社経営とかしている人なら実感のある数字でしょうけど、10億円くらいになるとニュースで見る数字であって、日常に接することは少なくなる。そしてこれが1000億円とか、10兆円とかになると、そりゃ数字としてはどういう量なのかは知っているけれど、実感を伴わないものになってくる。
でもそれは、やはり1000億円であり、10兆円であって、巨額で重大な数字ではあるんです。日常生活の実感からは遠くなるけど、重大な数字なのです。だから、真剣に考えなくちゃいけない。
なんだか最近、こういう数量の意味を忘れてしまったかのような、日常生活の感覚だけの感情的な議論が多いように思うのです。いや、最近じゃなくて、昔からあったのに、ネットが普及してそういう議論が可視化されただけなのかもしれませんが。
* * *
国会議員の数が多すぎるとか、議員歳費をもらい過ぎだと攻撃する人たちがいる。そりゃね、税金で賄っているんだから節約するに越したことはない。でも、何を以て「多い」のか。議員の仕事にお金がかかるのは当然だし、有能な人に議員を目指してもらうためにはそれなりの待遇があるべきだと思うの。議員の数にしても、多数代表制でも比例代表制でもいいけど、国民の声を正当に代表させて安定した政権運営をするのはどういう選挙制度でどのくらいの議席が必要なのか、というところから議論すべきで、「まずは自身の身を切る努力から」などという場当たり的で感情的な対策が成熟した議会政治に資するとも思えないんですよね。
国会議員を一人減らせばたぶん1億円くらい節約になるのかもしれない。しかし、国家予算は100兆円くらいの話をしていて、そこには10の6乗の差がある。100人減らすとしてもまだ1万倍。税金を原資としているのだから節約せねばならない、というテーゼには反論のしようがないですけど、数字を見れば議員歳費の問題とか現実的には重箱を隅をつつく議論と言ってよさそう。節約はしてほしいけど、その議員歳費削減の議論に多大なエネルギーを費やすことが、全体にとって生産的なことかというと疑問です。ちゃんと議員さんにお金を払って、社会保障でも外交防衛でも、落ち着いた議論をしてほしいもの。
東電の社員が給与をもらい過ぎだと攻撃する人たちもいる。これも、大きな問題を起こして電気代の値上げをお願いしている会社なのだから、人件費の圧縮は当たり前の話であって、それに反論のしようはない。しかし、度を越した攻撃というか、いじめに近い発言を気持ちよさそうにネット上で発している人も少なくないんですよね。
たとえば東電の人件費は年に4000億円ぐらいだそうで、これの2割減、3割減なんていう話になっているとかで、まあ、1000億円ぐらいの人件費圧縮になる。他方で、原発を停めたことで日本から流れ出している燃料代は年に4兆円、電力不安のGDPへの影響はマイナス1%くらいではという話で、だとするとこれも5兆円くらいの話になる。これからのエネルギー政策とか電力の安定供給とか、1年で数兆円規模になる話をしている時に1000億円にあとどれだけ積み増しできるかという議論にすごいエネルギーを割いて、現場の人たちを萎縮させてしまうのは、正直どうなんだろうかと思うんですよ。金額にして100倍くらい差がある話なのに。東電が憎かろうとなんだろうと、あるいは国有化されようと破綻処理されようと、電力供給の現場の人にはそれなりにがんばってもらわなくちゃならないわけだし。
生活保護の不正受給に対する攻撃も同じにおいがする。生活保護の不正受給は悪い。それに反論はできない。でも、総支給額3兆7千億円とか言ってて、不正受給率はその0.4%だそう。かくれ不正受給があるとしても、「生活保護受給者が増えている」という問題の本質から見れば、不正受給の問題はせいぜい100分の1の大きさの議論なわけです。
* * *
「国会議員の税金の無駄使いを弁護するのか?」
「東電社員の破格の待遇を擁護するのか?」
「生活保護の不正受給を看過するのか?」
そういう風に問われれば、「いいえ」という答えしかない。しかし、私たちは完璧な世界に住んでいるわけではないし、人が集まれば不正や不都合も起きる。不正、不都合は少ない程よいには違いないけど、ゼロにはならない。どこまでを社会的コストとして認めるかは議論があると思うけど、話の本質に比べて100分の1、1000分の1の大きさの問題に拘泥し、消耗してしまうのはどうしても生産的とは思えないのです。100万円の稼ぎ方や使い方の話をしなきゃいけないときに、1万円の話でぎゃんぎゃん騒ぎ、疲れ切っちゃうような感じじゃないですか。
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だから、子どもたちの手紙を入れたビンは、海に流してもいいと思うんです、私はね。
July 01, 2012
ジンバブエ一周、2500kmの旅。
南部アフリカの中堅国、ジンバブエ。
2009年まで続いた天文学的ハイパーインフレの印象が未だに根強く、ムガベ大統領の独裁政権が続く国としても悪名高い国ですが、本来は豊かな自然に恵まれ、穏やかな人々が暮らす魅力的な国です。かつては英国の南部アフリカ開拓の要衝、南ローデシアとして知られ、英国系を中心にヨーロッパ系の人々も未だに暮らしていて、植民地時代の名残も留めています。ザンビアとの国境には世界三大瀑布のひとつとして知られるヴィクトリア・フォールズを擁し、欧米、また日本からも数多くの観光客が訪れています。
2012年6月、そんなジンバブエ(+ちょっとだけボツワナ)を、自分で車を運転して一周してみました。
首都ハラレを出発してグレートジンバブエ遺跡(UNESCO世界遺産)で2泊、ジンバブエ第2の街ブラワヨで1泊してカミ遺跡(UNESCO世界遺産)を見物。ワンゲ国立公園の中のキャンプで2泊し、ヴィクトリア・フォールズ(UNESCO世界遺産)で2泊。その間に国境を越えてボツワナ側のチョベ国立公園に日帰りのサファリ旅行。ブラワヨに戻ってマトボ遺跡(これもUNESCO世界遺産)にあるキャンプで1泊して、ハラレまで。計8泊9日、走行距離は2500kmを超えました。
「ジンバブエ」の国名の由来にもなっているグレートジンバブエ遺跡。11世紀〜15世紀頃に栄えたサブサハラ最大の都市の遺跡です。最盛期には1〜2万人が住んでいたと言われます。
高さ11mに達する石積みは、モルタル等は使っていません。ひんやりと涼しい風が吹きます。
ローデシア時代には、アラブ、フェニキア、ユダヤ、ギリシャあるいはエジプトなどの文明の一部ではないか考えられていましたが、現在ではアフリカ固有の文明の遺跡であることが分かっています。15世紀頃、人口が増え過ぎ森林資源等を使い尽くしたために滅びたと言われています。
グレートジンバブエ遺跡に隣接する宿も、遺跡を模した石積みの壁です。
グレートジンバブエ遺跡はカイル湖(ムティリクウェ湖)の近くです。カイル湖はジンバブエで二番目に大きいダム湖です。(一番大きいのはカリバ湖。)
UNESCO世界遺産・カミ遺跡。石器時代から人が住んでいたところで、グレートジンバブエが衰退した後の15世紀にトルワ国の首都と定められ、17世紀に北部から侵入したロズウィ国に滅ぼされるまで繁栄しました。(トルワはグレートジンバブエの末裔か、少なくともその影響を受けた国だそう。)ジンバブエ第2の街、ブラワヨの郊外にあります。
ジンバブエ最大の動物保護区、ワンゲ国立公園。広さはスイスと同じくらいだそうです。写真は今回泊まったキャンプの全景。水辺の前にあるので、特に乾期には動物が集まってきます。
宿の前の水辺。ウッドデッキで冷えたワインを飲みながら見られる景色です。乾期が始まり、紅葉の美しい季節で、車で走っていると軽井沢かどっかのような感じなのですが、いきなりゾウの群れが車の前を横切るような場所です。
ナツメヤシの木は誰かが植えたはずなんですけど、今となってはいつ誰が何のために植えたのか分からない、っていう話でした。サルにとっては木の実が取れるし木の上は安全なねぐらになるし、といことで好都合なようです。
ヴィクトリア・フォールズ・タウンから70km、国境を越えてボツワナ側のチョベ国立公園。この先でザンベジ川に合流するチョベ川のボツワナ側に広がる動物保護区です。対岸はナミビア。ゾウがたくさん。キリン、セーブル、クドゥ、インパラ、バッファロー、ヌーなどなども。
そして、川沿いなのでカバも。
ワニもいる。
泳ぐゾウ。中州に生えている草を食べに行くところです。
そしてこれ。ライオン。ちなみに雄ライオンは縄張りのパトロールをしていて、サファリのガイドの人でも3ヶ月に1回くらいしか出会わない、と言ってました。
そして旅のハイライト、ヴィクトリア・フォールズ。幅1.7km、最大落差100m超。滝というか、地の割れ目にザンベジ川の水が落ちる、というところです。
やっぱちょっと、その場に行ってみないとこの迫力は伝わりませんねぇ。
日暮れ頃。
ヘリコプターに乗って上空からも見てみました。水煙はかなり遠くからでも見えるし、ゴーって音も聞こえる。
滝を境に左側がザンビア、右側がジンバブエ。谷に架かっている橋は100年以上前にスコットランド人が建設したもので、ザンビアとジンバブエの国境です。ちなみにこの橋でバンジージャンプができます。
ホテルのバーから見えるヴィクトリア・フォールズの夕暮れ。
ビールは地元ブランドの「ザンベジ」。
ハラレに戻る途中、ブラワヨからちょっと逸れてマトボ(UNESCO世界遺産)へ。巨石がゴロゴロした景観も面白いけど、ここが世界遺産なのはそれだけが理由じゃない。
こんな壁画がマトボの丘陵地帯の中に大小数千か所もあり、まだ見つかってないものもきっとある。この地に住んでいた先史時代の人々(サン族)が残したもので、概ね6000年前までに描かれているそう。その後、この地にはあまり人が住まず、再び人が住み始めたのは2000年前からとのこと。
この洞窟から見つかった若い女の骨は9000年前のものだったと聞きました。
そして、マトボが世界遺産になっているもうひとつの理由は、ここがこの地の民族・ンデベレ人の聖地であり、同時に英国の南部アフリカ開拓の先駆者たちの聖地になっていたことです。「ローデシア」の名前の由来になっているセシル・ローズ、ローデシアの総督を務めたジェイムソンの墓が「View of The World」と呼ばれる丘の上にあります。
* * *
ジンバブエ。旧英領ということもあり、欧米からの旅行者はそれなりに多く、要所要所にはアフリカのクラッシックなサファリの味わいたっぷりの快適なキャンプや、コロニアルな香りの残る素敵なホテルがあります。UNESCO世界遺産は5か所あり(今回はそのうち4か所を制覇)、首都ハラレには国際大会が開けるレベルのゴルフ場もあったりする。年を通じて暑くもなく寒くもなく、特に乾期はお天気の心配をする必要のない日が続き、観光地としてかなり魅力的だと思います。
しかし、いかんせん日本からは遠い。パッケージツアーで南アフリカのケープタウンと組み合わされているヴィクトリア・フォールズに行くのは定番ですが、それ以上に足を延ばすのはなかなか難しいところでしょうね。日本とほぼ同じ広さの国土ですが、国内交通はもっぱら車しかない、というのも難点か。
このご時世なので、行こうと思えばネットで宿を予約して個人旅行もできますが、宿代がもともとそんなに安くないところなのに、日本人観光客価格でさらに高くつくことも覚悟しなくちゃいけない。土地勘がないといきなり個人旅行は難しいかもしれないなぁ。
幸い私の場合は南部アフリカ滞在が長く、なんとなく勝手も分かっていたので、物好きな友達がわざわざ東京から遊びに来てくれるという機会を捉えて決行できました。そうでもないと「ジンバブエ一周2500kmを車で」なんて旅行はあまり思いつかないですよ。たぶんこんな旅行をした日本人はほとんどいないんじゃないですかねぇ。
しかしまあ、盛りだくさんでとってもよい旅になりました。ハードルは高いですが、南部アフリカの魅力を味わう旅、オススメです。
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